「才能」と「努力」

今日はまじめな話です。
 
 
例えば、なんでもいいんですが勉強や部活などで自分よりもよくできる人が、
みなさんのまわりにも少なからずいると思います。
 
そしてそのとき「あいつができるのは才能があるから」って考えることがよくあると思います。
自分には才能がないからできない、あいつには才能があるからできるんだっていう考え方です。
 
 
ボクはこの考え方はあまり好きではないです。
なぜなら、少なくともできる人っていうのは、自分が考えている以上の努力を絶対にしてきています。
それなのに努力の部分を見ないで全てを才能で見るのは、その人に対してすごい失礼だと思うんですよ。
 
他人が自分よりできるのは「才能がある」んじゃなくてそれ以上に「努力している」。
そう考えたほうが自分も努力できるし、相手のよさもみれるし一石二鳥なんじゃないでしょうか。
 
 
 
しかし、そうはいっても確かに人より努力したのに自分にはできないってことは実際にあります。
それは仕方がないことです。
 
だから、ぼくは(成果)=(才能)×(努力)の式があてはまるんじゃないかと考えています。
才能の差は確かに大きいです。でも、努力すれば必ず成果は残せるし、才能の分をカバーすることができます。
 
自分が人より半分の才能しかなければ、その分2倍努力すれば追いつけるし、
1/3しかないのなら、3倍努力すればいいことです。
 
 
しんどいときもあるかもしれませんが、そう考えておけば、少しは努力する気が起きるんじゃないでしょうか。
実際、ぼくは神様がひとつだけ何かの才能をくれるとしたら、「努力する才能」を本気で望みます。
 
 
ちょっと乱文気味になってしまいましたが、今日はこのへんで。
「文章を上手く書く才能」ほしいですね。ん?なんか台無し?
それでは~。