20代

今日で30歳になりました。ドンドンパフパフ。正直20歳の時は30歳まで生きてる自信がなかった。本気ではないが漠然と死にたいと思っていた記憶がある。
年を取ると忘れることも多くなるしせっかくなので20代のログを簡単に書こうと思う。記録を残すのは大事。
どちらかというと内面的な話も書いています。別に面白くなかったり読みにくいかもしれませんが何卒ご了承ください。よろしければ。


■20歳(2011年5月~)
この頃は芸人になろうと思っていた。大学の単位をさっさと3年で取って4回生になったらNSCに行こうと計画していた。そのためにバイトで入学金も貯めようとかしてた気がする。
2回目のR-1で信じられないくらい滑る。滑るというか逃げた。ネタの途中でセリフが飛び頭が真っ白になり10秒ほど固まった後ありがとうございましたといって逃げた。控室にいるのもつらくそそくさと電車に乗って帰った。
R-1の1回戦は何回か見ていてひどいネタをしている人は見たことあるが、途中で逃げる奴は見たことがない。本当に最低なことをしたと思っている。椅子に縛り付けられあの時の映像が何回も流される地獄があれば俺は舌を噛み切って死ぬと思う。
今でもネタやる前は必ずこの記憶は思い出す。セリフの少ないネタ、ないネタをやることが多いのはこの記憶があるため。今でもセリフは平気で飛ぶので、飛んでもなんとかなるネタをやるようには心がけている。

■21歳(2012年5月~)
R-1の出来事があり、芸人になることをあきらめ、就職活動を始める。
横浜に5日間のインターンに行ったが、グループワークでの発言が一切できずこいつはなんなんだという顔をされ、3日目のホテルで本気で首を吊ることを考える。浴衣の腰に巻く帯で吊ろうと考えドアの上の部品(名称調べたがわからず)にかけたが、これ折れるんじゃない?と冷静に考える自分もいて、急に死ぬことに冷めて思い直した後モリモリ飯を食べた。大して本気ではなかったのかもしれない。
面接も受けたが2、3ヶ月やって30社以上は受けた。特に選考過程にグループワークがある会社は必ず落ちた。人が何人か集まるとどうしても発言ができなかった。
つらい状態ではあったがそれでも真面目に積極的にほぼ躁状態になりながら続けた結果、運よく今の会社に内定をもらう。通った会社はホワイトもホワイトなとてもいい会社。こういう環境に関する運はめちゃめちゃ持っているほうだと思う。

また、就職活動と同時に生大喜利を始める。就活だけやっていると心がもたないと思ったため。
もともと雑誌投稿やネット大喜利はやっていた。その辺の話は今回は割愛。
大喜利をやって一番よかったと思うことは、世の中に面白い人たちがいっぱいいることを知れたこと。これはもう間違いない。
そこから数年間ほぼ毎週大喜利がある時代だったので、本当にありがたい時代を過ごしていた。今自分が思う面白いの基礎を教えてもらったと思っている。

■22歳(2013年5月~)
大学の単位は3年でほとんど取ったので、かなりのほほんとした1年を過ごす。今思えばもったいない時間の使い方をしていたが、まあ別にいいかなと思う。全く悔いはない。
翌年4月に就職。しかし、どこかで芸人になる夢はあきらめずにいた。いろいろ考えて出した結論は、どうせ自分は社会の役に立たないしクビになるだろうから、正式に社会人失格の烙印を押されてから芸人になろうだった。

■23歳(2014年5月~)
社会人1年目。仕事はまあできないがクビにならず。
今思うとアホなんかというような質問ばっかしてた気がする。

■24歳(2015年5月~)
社会人2年目。相変わらず仕事はできず先輩の足を引っ張りまくる。しかし望むようにクビにならず。
この頃同時に人前でネタをやるようになる。今調べたらティッシュ食うネタやったの2015年だった。そんな前だっけ?

■25歳(2016年5月~)
社会人3年目。配属が変わり今のチームに移る。それでもやっぱり仕事はできず。クビにもならず。

■26歳(2017年5月~)
薄々気づいてはいたが会社って全然クビにならないという事実に気づく。辞めるには受身ではなく自分で言い出さないといけなかったらしい。
わりと取返しはつかないので知らなかった方は覚えておいたほうがいい。

それでも仕事はできないままだし辞めようと思ったタイミングは何回かあった。
しかしそのタイミングで新しい業務担当が増えたり、同じ業務の人が辞めたりと都度何かが起こり言い出しにくくなって結果だらだらと続けた。
これがわりと人生の分岐点だったと思う。今の結論は辞めなくて正解だった。

ここまでの2、3年、ストレスなのか家で突如奇声を上げるようになった。
具体的には「あかん!」「しにっ!(本当は死にたいなのだがよくない言葉なので途中で止める)」など。意識してではなく本当に無意識で出るものは出るといった感じだった。なお、会社や外では我慢していた。
急に叫ぶ息子に親も当然心配はしていた。しかしどう対処していいかわからず、結果適切な無視をされるようになる。一度ムカデが出たのでハサミで抑え、水の入ったバケツを持ってきてほしくて「ムカデー!」と叫んだら、いつもの奇声と思われ誰も来てくれなかった。あれは正直悲しかった。

当時空前の発達障害ブームでありもしかしたら自分もそうなのかとか悩んでいたこともある。自分で調べた結果、発達障害ではなく緘黙症かもと思い、それはそれでまた悩む。
精神科医にいったほうがいいのかなあとも思いつつ、病気と認定されたところで別に何も変わらなくない?とも思い、行く気持ちになれず。そこからさらに考えを拗らせ、そもそも精神科医に俺の何がわかるというのか、簡単に人の心に踏み入ろうとしている、あいつらは簡単な気持ちで人を救えると思っているエゴの塊と、意味不明な思考を持つようになる。
病院に行っていないので、結果本当にそうなのかはよくわかっていない。

おはらーゆが生まれる。なおおはらーゆは奇声ではありません。

■27歳(2018年5月~)
さすがにこの頃になると仕事もできないならできないなりにある程度回せるようになる。
またネタで褒めてもらえたりおはらーゆが認めてもらえたりで、自己肯定ができなかった部分が改善されるようになる。
あとやらしい話ではあるが貯金がある程度できてきて、どれだけ嫌われようが何かやらかそうがしばらくは生きていけるなと思うようになり精神的にわりと楽になった。
この辺で物事がポジティブに考えられるようになり、上記の症状もかなり緩和されていくようになる。

■28歳(2019年5月~)
仕事のチームの雰囲気がガラッと変わる。今まではなんとなくみんながバラバラであり仲が悪いという評価だった。
リーダーの人に上がつくようなった。おそらくリーダーもずっと悩んでて、でもどうしたらいいかわからないっていうのが続いていたと思われる。悩みを聞いてもらいアドバイスをもらえるようになったおかげで、その人の姿勢がかなり前向きに変わった。40を超えても人って変われるんだと、すごくいい事例を見たと思っている。

また、同時に直属で指導する後輩ができる。
どちらかといえば仕事できないとされている子であり、自分の1年目と同じようなアホな質問ばっかりしてきて、ああ先輩も自分と同じ気持ちだったんだろうなあと思いながら過ごす。なおその先輩は辞めている。先輩は辞めるには自分で言い出すということをちゃんと知っていた。

メランコリーでネタがめちゃくちゃウケる。信じられないくらいウケる。僕だけの力ではなく、場の環境とかお客さんの温かさとかいろいろな要素はあると思うが、それにしてもめっちゃウケた。
この後しばらくはずっと調子に乗っていた。もしなんなんだこいつと思われていたらそれは申し訳ない。
裏で映像はいただいていて、恥ずかしい話ではあるが自信がなくなったり落ち込んだりしてどうしようもなくなった時にたまに見たりしている。
その他、M-1やアマ笑杯など、この時が一番充実していた。今の自分にとって人生の最高点でありピークである。もしかしたらもう超えることはないのかもしれない。

■29歳(2020年5月~)
コロナが直撃する。もともとダラダラしやすい性格ではあるがよりダラダラする。

一人暮らしを始める。ずっと実家から出ていく気持ちはあったが、自分への甘えや家で叫んでるようなやつが出ていいのかというので30手前ギリギリになってしまった。今半年くらい経つが、基本的には楽しいし、孤独だなと寂しくなることもある。
仕事は特に代わりなく落ち着いている。最近も後輩はアホな質問ばっかりしている。この子も将来仕事ができるようになるのだろうか。

 

悩むことも多かったですが、20代、なんだかんだ楽しかったし充実はしていました。
いろんな方にお世話になりました。世の中には面白い人、優しい人がたくさんいます。本当にありがとうございました。

30代はどうなるのか。とにかく人生をやらないととは思っている。
20になったころは30まで生きている自信はなかったけど、30の今は35までは生きてられそうだなと思っている。40は自信ない。
大喜利とかネタとかに関しては貰ってばっかりだったし、もう貰い続ける年でもとっくにないと思っている。ただそういう気持ちはあるだけで、じゃあ具体的に返していく行動を取るかと言われればそれはわからない。自分がクズな性格であることは一番よく知っている。
もし何かありましたらお付き合いいただければ幸いです。

以上です。もう少し書けそうなこともありそうだけど、これくらいで。
読んでくださりありがとうございました。